2008年9月、アメリカで起こったリーマン・ショックで日本の産業も大打撃を受け、守口・門真市の多くの中小企業も倒産・廃業に追い込まれたました。淀川製作所も大きな打撃を受けることとなったのは言うまでもありません。しかし、不況のせいにしてこのまま何もしないで手を拱いているわけにはいきません。「何とかしなくては!」という思いから同業・異業種を問わず色々な集まりに参加し、ヒントになるものはないかと模索し続けておりました。
そんな時です・・・
踏み出さなければ、乗り越えていけない。
2009年の春、電気自動車の電装工事をされている方のお話を聴く事が出来たのです。
”電気自動車は、ガソリン車の1/10の部品で作ることができる”
もしかしたら、うちでも作ることが可能なのではないか…一筋の光が見えたような気がしました。起死回生への思いを胸に抱いたことがEV開発を始めたきっかけです。
2007年にフィレスターという魚を3枚に下す機械のOEM製作を頼まれ、今まで試作用の部品製作しかしたことのない工場で機械を作ることになりました。当時使われていた機械を全て分解し部品の形から設計までいろんな分野が初めてでした。いろいろと試行錯誤しながら機機械が完成。これが、淀川製作所初めてのOEM製品の製造となりました。
続いて2008年には「自転しながら公転するダブルミキサー技術」を利用した医療系の機械開発にも成功。その他にも多数のOEM製品を製作しました。
しかし、OEMには落とし穴が…
OEM製品の製造を始めたものの、やはり一筋縄ではいきませんでした。
生産台数が数十台とわずかな台数であっても、販売会社からの価格要求は大きいのです。
また、100台、200台と大量生産になってくると価格の安い海外生産へと切り替えられてしまいます。